思い出す“成田闘争”の頃
地下道の壁を楽しみながら小さな出入口を見つけました。
守衛さんらしき人が制服を着て暇そうに一人座っている第5ゲート出入口でした。
第5検問所に来たような雰囲気になりました。
ドキッとします。
第5ゲート出入口から出てしまったために東成田駅の玄関を見損ねました。
トラックターミナルです。
30近くのゲートがあります。
貨物機らしき一機。
第2ターミナル方面に進みましたが、
ここでUターンして歩いてきた道を眺めながら第一ターミナルに向かいました。
建て替え期間中の臨時管制塔にしか見えない高いビル(実際に何なのか分かりません)
と奥には新管制塔。
コロナで大騒ぎしていた2020年6月10日に新管制塔が供用されました。
成田闘争当時は、高いフェンスの上に鉄条網がぐるぐる巻きで、100m間隔で機動隊が立ち、まるで刑務所を思わせる光景でした。
地球とAirportを組み合わせたNAA㈱の旧ロゴマーク。
マンホールの写真を撮っていたら、警備員だか警察官だかが近づいてきました。
闘争時、下水管から侵入された後、管制塔が占拠された(逃げ込んだ説あり)過去があるので、今でもピリピリしているのかもしれません。
目の前の建物が航空警察署だったので当然かもしれません。
今でも非常時・緊急時には道路封鎖ができるようになっています。
検問所のあったところでしょうか。
錆だらけの鉄骨がそのままになっています。
旅客か貨物か分かりませんが、始めて見かけた出発便。
孟宗竹を横に歩道を進みましたが、この道を見つけるのが大変でした。
北ウイング前から南ウイング
ミーティングポイントで一休みしました。
施設内は別の機会にして、
また駅探検をしながら帰ることにしました。
就職時の面接試験で
今では禁止されている思想・信条を聞かれたことを思い出しました。
「成田闘争についてどう思いますか?」












