姫木平の山小屋生活

毎月一期間過ごしています。現地の動植物や生活の様子を紹介します。冬季は自宅近隣の散策や旅をした様子を綴っています。

百名城№20佐倉城散策

 佐倉藩11万石の内千葉県にあるのは6万石分で、山形県・栃木県・茨城県等に飛び地があったようです。佐倉城に向かう街道はいくつもあります。
水戸街道新宿(千住宿の隣)から市川宿・八幡宿・船橋宿・大和田宿・臼井宿と続く佐倉街道(現在の通称成田街道)と寒川湊(現在の千葉港)からの佐倉街道などメインは2本ですが、九十九里からの道や幕末期には旧佐原市へ領地を広げました。


佐倉城は日本百名城の一つであることを知りませんでした。


土塁と深い空堀をモチーフにした3cm四方の小さなスタンプでした。


 城というと高い石垣と白亜の天守を思い浮かべますが、そうではありません。
石材を調達し難かったこともありますが、
地形と崖下の深い湿地帯を活かして、深い空堀・土塁、馬出し・桝形に加え、9つの城門を配備して防御を固めました。
高台の広い本丸敷地の一角に3階建ての天守閣と本丸御殿・櫓がありました。
ジオラマです。


天守閣の1/100の模型


 城跡はこれと言った遺構も無く、写真は寂しい限りです。説明板を撮るくらいです。



田町門を過ぎて城内の愛宕坂を上ると
歴史民族博物館へ続きます。

(佐倉街道は成田山新勝寺まで伸びて現在は成田街道と呼ばれるようになりました。)


愛宕坂の途中の臼杵麿崖仏

この付近に衛兵所があったようです。


侍屋敷のあったところに国立歴史民俗博物館が建っています。


歴博はとても大きな建物で、敷地の広さに驚きました。


城門は9カ所に配備されていましたが、せいぜい礎石や盛り土が残るだけ。二つの櫓も出丸も同じで、ここにあったのかと想像するだけです。


ゾッとするような深い空堀を脇に見ながら進むと本丸入口です。



本丸入口には
堀田正睦公像とハリス像


本丸敷地


本丸を囲む土塁。


 後は駅方向に向かうだけとひたすら歩いていたら、
ボーッとして“ひよどり坂”を過ぎて、竹林の中の狭い階段を歩くことができず、武家屋敷を見ることができませんでした。


最近は何をやっても、必ず一つ抜けてしまいます。

×

非ログインユーザーとして返信する