姫木平の山小屋生活

毎月一期間過ごしています。現地の動植物や生活の様子を紹介します。冬季は自宅近隣の散策や旅をした様子を綴っています。

首里城は赤くなかったの?

 1945年の沖縄戦と琉球大学建設のため取り壊された首里城は、
1980年代前半に琉球大学移転に伴って本格的に復元が始められ、
1992年に再建されて見事に復活しました。


 ところが、2019年10月31日未明に配電盤のショートにより火災が発生して、スプリンクラーのない木造の建物は一気に燃え落ちてしまいました。
復元からわずか27年後のことです。


 再建のために木材と瓦の調達が必要になりますが、木材は国内では賄いきれません。台湾が恩返しとのことで大量に協力してくれるそうです。心温まる思いがします。
もう一つの瓦はというと、1992年の再建時には沖縄でしか取れない粘土を利用し、焼くときれいな赤になる優れもので、かなり高価なものです。ちょっと場所が変わると色合いが異なってしまうそうで頭を抱えているそうです。


 そもそも1992年復元時は白黒写真しか参考資料がなく、地元住民の声を聴いても色はまちまちだったといいます。イメージ色で塗装するしかなかったわけですが、2010頃初めて現地で見たときはあの妙に明るい赤に驚きました。守礼門の厳かな感じとのギャップがありすぎです。今では首里城イコール真っ赤というのが頭に染みついてしまっています。


 ところが2014年にカラー(復元?)映像が発見されて、

あまりにも違う色に関係者は愕然としたのだろうと思います。


この形と色は韓国大統領府の青瓦台(ブルーハウス)とそっくりです。

 韓国は1948年に初代大統領李承晩が選出。
植民地時代にあった総督官邸の建物を「景武台(キョンムデ)」と名前だけを変えて執務室として使用し、その後盧泰愚(ノ・テウ)政権時代(1988-1993)に現在の青瓦台本館・春館・秋館などを新築しました。(Wikiより)
 
青瓦台本館・春館・秋館は首里城本殿・南殿・北殿をモデルにしていたのかもしれません。
一方、薩摩藩の侵攻により日本の管理下に置かれた首里城は明治初期は日本陸軍の軍営として、国宝に指定されてからは正殿は沖縄神社の社殿となったようです。神社なら朱塗りをイメージすることもあり得ます。国宝指定の建物なら資料がたくさんあってもいいはずですが、資料は廃棄処分にしてしまったというのでしょうか。(今流行りの・・・)


Wikiにある白黒写真をカラー復元してみようと思います。
大掃除の合間に挑戦してみます。
楽しみです。

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