姫木平の山小屋生活

毎月一期間過ごしています。現地の動植物や生活の様子を紹介します。冬季は自宅近隣の散策や旅をした様子を綴っています。

S氏と千葉駅周辺散策

 毎年、年賀状で会おうや飲もうやと言いながら、なかなかその機会を設定できずに一年があっという間に過ぎてしまうことの繰り返しだったS氏に電話をして、駅改札口で待ち合わせることになりました。30年ぶりの再会です。
 何十年も経った千葉駅はすっかり変わってしまい、待ち合わせ場所の改札口はここでいいのか不安になるくらいでした。駅直結のショッピングセンター『ペリエ』でコーヒーを飲みながらの歓談、中央公園(旧京成千葉駅)付近の“美彩や”で食事後の市内散策が新鮮でした。千葉氏一族の彼が事細かくガイドしてくれるので足が先へ先へと進みました。幼少時に遊んだ道や遊び場、親戚の家や寺、広大な敷地等、昭和30年代の話が次々と。考えてみると自分は千葉駅周辺の事を全く知らない。


 市立美術館は旧川崎銀行(後の三菱銀行)の建物を覆うようにビルを建てて上階を美術館と区役所にしたものです。


 銀行跡は展示室やコンサートホールとして利用されていて“さや堂ホール”といわれています。


 中に入るとセピア色の心安らぐホールで展示が行われていました。

   


 すぐ南の千葉神社も初めてです。
日本で唯一、上下に社殿を有する重層社殿と楼門型の霊社『尊星殿』です。


 さらに南に進むと広小路交差点。昔、交差点の真ん中がロータリーになっていて四方に分かれていたようです。標識は←51↑14→と表示されており、
佐倉街道の始点と千葉街道の終点の接点だと分かり、碑が無いか探しました。

 

     

『 ここ、中央1丁目付近は、もと江戸街道(江戸海道町)といわれ、佐倉藩の登戸浦へ運び出す人馬の往来で大変賑わっていました。
 町名は通り道に由来していると思われ、近代に入ってから通町と呼ばれるようになり、交通の要衝として発展を続けてまいりました。
 昭和45年、地域の人々との話し合いにより中央1丁目同2丁目と町名の変更が行われました。 』                         平成3年 千葉市


 現在千葉県道路愛称名で「佐倉街道」と呼ばれている国道51号の起点で、「佐倉道」は中世は亥鼻城(千葉城)と佐倉城を結び、江戸時代に佐倉藩が寒川湊(千葉港)まで整備して佐倉道を延ばしたようです。江戸に向かうための道は地元では江戸街道と呼ぶので関東には江戸街道がたくさんあります。


 千葉街道の表示を探しても見当たらず、マンホールに目を移すと


 市の鳥コアジサシ・市の木ケヤキ・弧を描く円(6つの区)を覆う市の花オオガハスというデザインの3穴でした。旧デザインの無着色でかなり磨り減っているのですが、千葉市が政令都市になった1992年以降のものです。
好天の中、S氏と30年ぶりの再会を楽しんだ一日でした。

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