鉄道連隊と習志野線を訪ねて
千葉工大の駅側角に説明板がありました。①
日清戦争時の臨時鉄道隊に始まり、敷設訓練や演習そして軽便鉄道で物資輸送を千葉方面と松戸方面に行っていたようです。
千葉工大の正門は鉄道連帯兵舎の正門でもあり、重要文化財になっています。➁
大正終わり~昭和初めの頃の正門 (習志野市HPより)
先に進むと車用門③
コロナ対策のため校門は閉ざされています。
陸橋を越えて総武線の北側に出ました④。
津田沼公園に当時の軽便鉄道のK2形機関車が静態保存されています。➄
軽便とはいえ、軌道間はJRよりちょっと狭いかなくらいの立派なものだったのには驚きました。
公園からは左の八坂神社を抜けるとまっすぐな道がありました。これが千葉に向かう習志野線跡のようです。⑥
ところが新京成線が断ち切ります。⑦
反対側の習志野線の続きを探しに行きました。
思った通り土手が削られていました。⑨
振り向くとちょうどいい幅のまっすぐな道です。⑨
この道を進みましたが、➉でおかしいことに気づきました。
⑪で習志野線に出ました。
振り返って(⑫方面)みると津田沼方面にまっすぐな道がありました。これこそ習志野線跡のようです。
ただし、正面はマンションです。
マンション敷地内の路地を抜けると切り開いた跡の残る土手に出ました。⑫
こちらのコースが正解のようです。
⑬以降は省略します。
今回は資料無しで推理しながら歩きましたがなかなか面白いものです。切り開いた土手を見つけた時は感激でした。
いつか軽便鉄道習志野線跡を千葉まで辿って見ようと思います。
歩きか自転車で。
家でまとめていた時に訃報が入りました。(2/14)
















