さよなら中野サンプラザ(よりも思い出深いもの)
中野サンプラザは、1973年(昭48)6月1日(金曜日)に正式名称『全国勤労青少年会館』として開業しました。
三角形の奇妙な建物は不思議な感じでした。
デザインとしては面白いですが、不経済なことを・・。
と、思っていました。
当時は日照権問題が取り沙汰されて、こうせざるを得ない制約の中でのデザインだったのでしょう。
ついに建て替えの時期が来ました。
7月2日に閉館になりました。
広場の時計は全く記憶にありませんでした。
裏側の傾斜部は庭園やテニスコートとして設計されました。
舞台装置などの出っ張りをうまく隠しています。
写真の歪みではなく、本当に直角三角形なのです。
玄関前の広場から見た中野駅です。
ここも南口でクレーンが活躍しています。
中野通りも昔とは雲泥の差。
綺麗に整備されていました。
中野サンプラザにはイベント会場・ホテル・結婚式場等がありますが、
一度も利用したことがありません。
私にとっては、改札を出て正面のサンモールや中野ブロードウェイの方が思い出深いです。
商店街を抜けたところに住んでいた弁護士と女医さんの二人息子の次男坊の家庭教師をしていました。
帰りに閉店時間直前の店を回りもしました。
昔の秋葉原の電気街のような店が小さな店が並んでいました。
(今はどうか見ていません)
ブロマイド屋なんて言うのもありました。
皆がカメラを持てるような時代ではありませんでしたから、
目的は異なりますが、現在のトレーディングカードのような人気でした。
中野サンプラザの建て替えの時期に入り、
北口全体の再開発が始まるのもそう遠くはないのでしょう。







