姫木平の山小屋生活

毎月一期間過ごしています。現地の動植物や生活の様子を紹介します。冬季は自宅近隣の散策や旅をした様子を綴っています。

帰路の”吉野宿”

 しばらくすると旅籠風の家並みが見えました。

振り返った写真です。



本陣は木造五階建て

 資料館所蔵・写真は明治初期

右隅には土蔵


3階建土蔵現存(外壁のみ修理)


本陣に続く旅籠
右手前続きに旅籠「藤屋」(現資料館)

資料館所蔵・写真は明治初期
1896年(明29)大火で本陣を含む一帯は焼失しました。


本陣跡から見た「吉野宿ふじのや」(現資料館)


吉野宿全体で1日平均50人、馬30頭が利用したという記録だけが残っているようです。


旅籠「藤屋」で配布された宿場案内図。

資料館所蔵・写真は明治初期
甲州街道だけでなく、東海道・中山道・日光往還・秋葉街道等こまごま書かれたものです。


1900年以前の賑やかさが目に浮かびますが、
1900年以降の衰退は鉄道によって始まったといえます。
人流も物流も鉄道に移行して、途中の宿場は意味のないものになってしまいました。


戦後、相模川をせき止めて相模湖を作りました。
人造湖でありながら“湖”と呼んだ日本初のため池です。
白樺湖も人造湖なのに“湖”と呼んでいます。

資料館所蔵・写真は明治初期
吉野橋付近の水位が上昇し、写真の下半分ほど水没しました。


説明を聞いたり質問したりで、資料館の館長さんと2時間近く話し込んでしまいました。

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